平安神宮を巡る
境内案内
社殿

桓武天皇が開かれた当時の
平安京の正庁、朝堂院を再現
平安神宮の社殿は、桓武天皇が開かれた当時の平安京の正庁、朝堂院が約8分の5の規模で再現されています。大極殿(だいごくでん・外拝殿)・応天門(おうてんもん・神門)・蒼龍楼(そうりゅうろう)・白虎楼(びゃっころう)・歩廊・龍尾壇(りゅうびだん)などは明治28年(西暦1895年)の創建当時に造営されたものです。
その後昭和15年(西暦1940年)孝明天皇ご鎮座にあたり、本殿・祝詞殿・内拝殿・翼舎・神楽殿(かぐらでん・儀式殿)・額殿(がくでん)・内外歩廊斎館(祭典の為参篭する館)・社務所などが増改築され、これまでの社殿も大修理が行われました。また、昭和50年からは主要な建物の屋根葺替が行われ、この間51年に社殿の一部が災禍に会いましたが、54年にはその復興もあわせて完成し現在のような壮麗な社頭が整いました。
ここを訪れた方には、今から1200年前、京都が生まれたばかりの風景をさながらに体感し、大宮人の気持ちを彷彿していただくことができるのです。
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本殿
(昭和54年造営)昭和51年(1976)に過激派テロで東西両本殿などが焼失、昭和54年(1979)4月に焼失前の2棟を1棟にまとめて周囲に縁を廻し、前方3箇所の5段の階段を設け、その前に祝詞殿となる浜床を付した国内最大規模の銅板葺き七間社流造の本殿
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大極殿(重要文化財)
平安京の大内裏の正庁である朝堂院の正殿で、即位、朝賀をはじめ国の主要な儀式が行われる中枢である。大極とは、宇宙の本体・万物生成の根源を示す言葉で、不動の指針北極星に比定され、天皇の坐す御殿を意味する。
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内拝殿
内拝殿は昭和15年の孝明天皇合祀にあたって内務省直轄工事として造営したものであったが、昭和51年(1976)に本殿同様に焼失し、現在の建物は焼失前のものをほぼそのまま踏襲して再建したもの。
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本龍尾壇(重要文化財)殿
平安京朝堂院において、北の大極殿と南の朝堂・朝廷との境に設けられた東西方向の壇上の施設。平安神宮は平安京朝堂院の様式を模して造営されており、龍尾壇は大極殿南庭左右の蒼龍・白虎二楼の南前に一段高く造られ、左右・両端の四ヶ所に3段の石段が設けられている。
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蒼龍楼・白虎楼(重要文化財)
明治28年裏松固禅(うらまつこぜん)の『大内裏図考証』などを参考に木子清敬(きこきよよし)と伊東忠太(いとうちゅうた)の設計で平安京朝堂院の様式を模して造営されたものである。 尚、規模は延暦の原型に比較して8分の5の大きさに縮小されている。
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釣燈籠
大極殿から応天門に至る各回廊と神楽殿・額殿東西に円筒形鋳造で火袋の窓に蒼龍・朱雀・白虎・ 玄武の四神をあしらった釣灯籠が現在145基が吊りさげている。 これは明治38年日露戦争の戦勝を記念して奉納された。
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神楽殿と額殿(国登録文化財)
平安京朝堂院の指図にある朝政のために参集してきた官人が刻限まで待機する建物『朝集堂』を模した東西相対する二つの社殿、現在神楽殿は結婚式場、額殿は催事や参集場所として使用されている。この二棟は昭和15年(1940)の孝明天皇合祀にあたって神域の大整備の際に造営された。
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応天門(重要文化財)
応天門は平安京大内裏の正庁朝堂院の南面正門である。平安神宮応天門は第4回内国勧業博覧会のモニュメントとして、平安遷都1100年にあたる明治28年に大極殿等と共に造営された。
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尚美館(貴賓館)
明治44年2月3日から東神苑の造営がはじめられ、明治45年5月から御所にあった京都博覧会の中堂が平安神宮貴賓館として移築。大正2年に完成して尚美館と名付けられた。
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平安神宮会館
平安神宮御鎮座70年・孝明天皇100年祭の記念してを竣工された。東神苑南側栖鳳池畔に神苑の景観に配慮して、外観は宮殿建築の優美さを取り入れた風雅な和風形式。ロビー全体に施された窓からは、ひときわ風情のある広大な神苑が見渡せる。
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大鳥居(国登録文化財)
昭和3年に昭和天皇の御大典が京都で行われたのを記念して、平安講社が同4年3月25日に造営したもの。造営当初は日本一の大きさを誇った。現在では岡崎公園のランドマークとなっている日本有数の朱の大鳥居である。
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慶流橋
明治28年に開催された第4回内国勧業博覧会会場の正門の橋として同年4月1日に開通した橋である。