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 "むすび" と "はらい"

●「結び」とは…

1年のむすび

 わたしたち日本人は、年が明けるとまず氏神様や崇敬する神社にお参りして、1年間家族を見守り続けてくださったお札やお守りに感謝を込めてお納めし、神様にご奉告します。また新たな年のしあわせを祈念した上で新しい守札を授かります。神様に新年のごあいさつをして初めて1年のすべての行事が始まります。
 家庭では注連縄を張り替え、門松を立て、神棚や床の間に鏡餅をお供えしてご先祖様の神霊や家庭のなかをお守り下さる「歳神様」をお迎えします。
 これは、自分自身や家庭が常にすがすがしくあろうという気持ちと、私たち日本人が古くから神様とのむすびつきをもっとも大切にしてきた例ですが、神様はいつも自分と一緒に、身近な生活のなかにいらっしゃる、というのが暮らしに息づいている日本人の意識なのです。

むすびの神様

 日本の「結び」は「物を結ぶ」という以外に、人と人、心と心の関係をも「結び」として表され、特別な意味がふくまれています。たとえば結婚式は、男女が結ばれ両家が結ばれる大切な儀式です。
神楽殿 ご縁を表す「むすび」は、古くは「産霊(むすひ)」いって、すべての物を生み出すご神威のことを表していました。天地・万物を生み出された神様に高皇御産霊神(タカミムスヒノカミ)・神皇産霊神(カミムスヒノカミ)、出産の際に見守って下さるのが産神(ウブガミ)という産霊の神様です。 また、産土(ウブスナ)の神様というのはわたしたちが生まれた土地の神様で、氏神様や鎮守様とも呼ばれますが、どこにいても自分の一生を見守って下さる神様です。
 神と自然とすべてのものと結ばれている存在が、わたしたち人間です。
そして、この感覚を信仰の形で伝えているのが神社なのです。
神社の祭りでは、まず始めに神様にお供え物をして、終わると「直会(ナオライ)」といって、そのお供えをおさがりとして食します。神と共にいただく、つまり神様と一体に「むすばれている」ことが大切なことなのです。

●「祓い」とは…

●神社のお祓い

 神社にお参りすると「手水」があります。清らかな神域に入りご神前に進む前に、口と手を水で清めて戴くためのものです。また、家内安全や厄除け、お宮参りなどご祈祷を受けるとき、まず神職がご奉仕してお祓いの儀を行います。これは「修祓(しゅばつ)」といって、神事の前に身を清めていただくのです。お祓いに使われている祭具は「大麻(おおぬさ)」という榊の枝に紙垂をつけたものや、紙垂だけを束ねて串に取り付けた「祓串(はらいぐし)」があります。
 榊は古くから神様におうつりいただくことのできる神聖な木とされ、紙は清らかなものとして祓い清める力があると信仰されて来ました。神と自然の力を借りてお清めをするのが祓いの儀です。






●祓いから産まれる

 祓の儀式の発祥は上代にさかのぼるといわれます。日本の神話『古事記』のなかにも「イザナギノミコトが亡くなったイザナミノミコトの後を追って死後の世界に足を踏み入れる、という罪を犯し穢れをおってしまった。これを筑紫の日向の橘の小戸の檍原にて禊祓をされた。」とあり、さらに「身につけているものを投げやって祓う行為から、天照大御神をはじめとする貴い神々が産まれた。」とあります。清らかな水で穢れた体を祓い清めることで新しい生命を産み出す、という象徴的な描写です。修祓の儀で奏上される「祓詞」はこの故事に基づいています。
神苑 瀧  また、「スサノオノミコトが天照大御神の御心に反して乱暴な行為で罪を犯してしまい、天の岩戸が閉まってしまう」という事件が記されていますが、このときに「罪をあがなうために解除(祓い)の詞を宣上し、色々なものを差し出して祓い清めた」という故事もあります。
 これには日本人の観念がよく表されており、人は知らず知らずのうちに罪を犯してしまうものだが、謙虚に反省し改めることができる。その方法として「祓」がある、「祓」とはお清めをするだけでなく、新しい生命を産み出す、生まれ変わる、ということなのです。

●祓いのくらし

 長い歴史を経た今も「祓い」は日々の生活や精神文化のなかに脈々と生き続けています。私たちが毎日のようにお風呂に入って体を洗うのも、仕事の前後には身の回りの掃除をして清潔にしておくのも、いわば「祓い」の信仰があるからです。
 時に日本人は何でも「水に流す」ので責任感がない、とか悪いことをすると「禊ぎをして出直せ」などといわれたりします。これは「祓い」という感覚のことを悪い意味で表現される例ですが、何もすべてご破算にできる、という都合のいいものではありません。本意は清らかな自然の元の姿に立ち返る、自然と結ばれるという日本人の真の美を表しているものです。

身を差し出し 生命をいただく

●大祓式
大麻 「むすびとはらい」の信仰を今も連綿と受け継いでいるのが、「大祓式」です。古くから公の儀式としても民間の信仰としても、ずっと守り続けられて来た祓いの儀式です。
 大祓式は大宝令に宮中の年中行事としてその式次第が記されており、既に奈良時代の平城京では国家の行事として執り行われていたことが解ります。
 現在の大祓式では、まず水辺に生えて常に水を浄化しているという茅萱で作られた「茅の輪」をくぐり、「大祓詞」を唱和し「祓物」を用いて祓います。この「祓物」には木綿、麻布などが用いられています。つまり自分の日常身につけているものを差し出してお清めし、差し出す行為自体にも罪をあがなう意味があるのです。
 同様に「禊(ミソギ)」には「身を削ぐ」という意味もあり、自分の身を差し出して清める、差し出すことで生命の漲る自然の新しい力を得る事ができるのです。
祓物  神社に参拝するとお賽銭をお供えしますが、元来この「お供えする」ということは、まさに我が身の物を差しだして供え、新しい力をいただくことを祈るのです。これこそが本当の祈りの姿です。
 また自分の身代わりにするものには「人形(ヒトガタ)・形代(カタシロ)」があります。三月や五月の節句に飾る人形には、罪汚れを吹き込み、家庭の安泰を願う「形代」の意味があるのです。

●むすび
 なぜ日本人はこのような一見わずらわしいことを行ってきたのでしょう。それは、人は決してすべてをつかさどり支配できる存在ではない。本来の姿は自然な清らかな存在だが、自分一人では常に過ちを繰返してしまい、反省しあらためる必要がある。という自然の摂理をよく知っていたからに外なりません。
 清らかなこころは自然の美さと全く同じものです。海、山、川、生き物や植物の姿にすがすがしい美しさを感じることができる。いつも自然のなかの一員であり、神々の力を崇めいただいて生活している。
これはわたしたち現代に生きるものにとっても、なんら変わりはないはずです。