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平安神宮
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時代祭

時代祭由緒
時代祭行列

【明治維新時代】
 維新勤王隊列
 維新志士列
【江戸時代】
 徳川城使上洛列
 江戸時代婦人列
【安土桃山時代】
 豊公参朝列
 織田公上洛列
【室町時代】
 室町幕府執政列
 室町洛中風俗列
【吉野時代】
 楠公上洛列
 中世婦人列
【鎌倉時代】
 城南流鏑馬列
【藤原時代】
 藤原公卿参朝列
 平安時代婦人列
【延暦時代】
 延暦武官行進列
 延暦文官参朝列
 神饌講社列
 前列
 神幸列
 弓箭組列
行列順路
時代祭行列
藤原時代
藤原公卿参朝列
<平安講社第3社(上京区・中京区)奉仕>
 平安時代中期以降、藤原氏が隆盛を誇った時代の文武両様の姿を現したもので、平安時代末期に強装束(こわしょうぞく)がおこり、大いに容儀が整えられた頃の服装にならったものです。後世の装束とはやや異なっていて、本列のものは夏服の様式で、文様、形式等はいずれも当代のものによって作られています。
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平安時代婦人列
<花街輪番奉仕・京都地域女性連合会奉仕>

巴御前(ともえごぜん)
 木曾義仲(きそのよしなか)の寵愛をうけ、義仲が没した後は尼になりました。
 これは巴の武装を『源平盛衰記』により現したもので、天冠をかぶり鎧を着け、太刀を帯に着けて長刀(なぎなた)を持っています。従者は折烏帽子(おれえぼし)に腹巻を着け小刀を帯び、それぞれ弓と馬杓(ばしゃく)を持っています。

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横  笛(よこぶえ)
 建礼門院(けんれいもんいん)の雑司(ぞうし)で、滝口時頼と恋におち、時頼が出家した後、嵯峨に彼を尋ねて行った時の市女笠(いちめがさ)に袿(うちき)姿です。image

常磐御前(ときわごぜん)
 源義朝の夫人で、義朝亡くなった後、三児(牛若・乙若・今若)を連れて六波羅へ母子の赦免を願い出に向かう時の姿を模したものです。image

紫式部と清少納言(むらさきしきぶとせいしょうなごん)
 紫式部は藤原宣孝の妻で、上東門院に仕え『源氏物語』の著者。清少納言は清原元輔の娘で『枕草子』の著者。前者は女官の略装で、後者は正装女御装束です。image

紀貫之の女(きのつらゆきのむすめ)
 貫之は延喜時代の名歌人。村上天皇の時代、清涼殿の梅が枯れ、その代りに西京から移された梅が、偶然にも枝につけてあった女の歌から貫之の庭の梅と分ったという古事によるもので、当時の袿(うちき)単小袖(ひとえこそで)、濃紅の切袴(きりばかま)を着け、手に梅の小枝を持っています。

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小野小町(おののこまち)
 平安時代前期の女流歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人。出羽国の郡司(ぐんし)小野良貞の娘で、才色兼備の女性です。
 服装は平安初期の特殊な姿で、当時の神像を参照して作られた他では見られない装束です。
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和気広虫(わけのひろむし)
 和気清麿呂(わけのきよまろ)公の姉で法均尼(ほうきんに)といい、慈悲心が深く多くの孤児を養育したことから、孤児院の起源ともいわれています。
 服装は還俗(げんぞく)した時の姿で、奈良朝の上衣、裙(もすそ)、帯を着け、比礼(ひれ)をかけ扇(うちわ)を持った姿です。男女の弧児2名ずつが従っています。
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百済王明信(くだらおうみょうしん)
image  右大臣藤原継縄(ふじわらのつぐただ)の妻で、百済王敬福(きょうふく)の孫、つまり百済氏族です。桓武天皇の御代に女官長(女官の最高位の従三位)として仕え、平安京造営を陰から支えた実力者とされています。
 衣裳は唐衣(からぎぬー背子)に裳(も)の唐風の装束で、翳(さしは)を手にし、お供に侍女を従えています。
 平成6年の時代祭創設100年の記念の年に「平安造京顕彰列」として参加しましたが、平成12年より本行列に参加しています。

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