
<平安講社第9社(右京区・西京区)奉仕>
元弘3年(西暦1333年)5月、第96代後醍醐天皇が隠岐より還幸される際、楠 正成(くすのき まさしげ)は一族郎党を率いて兵庫に迎え、先導して京へ上洛されました。これは楠公(なんこう)一代の盛事でありました。
本列はその楠公を中心とした行列で、甲冑は平安中期より鎌倉時代に盛んに用いられた大鎧(おおよろい)、ことに腹巻(はらまき)、胴丸(どうまる)が多く、楠公は紫末濃(むらさきすそご)の大鎧、兵庫鎖太刀(ひょうごくさりのたち)に豹の鞘(さや)、正季(まさすえ)は逆沢瀉縅(さかおもだかおどし)の大鎧に革包太刀、蛭巻太刀(ひるまきのたち)を重ねて着け、侍大将は卯花縅(うのはなおどし)の胴丸を着けて、いずれも小刀を挿しています。

<花街輪番奉仕>
大原女(おはらめ)
<大原農協婦人会有志奉仕>
洛北大原の婦人は古来、薪・炭等を頭にのせ、京の町へ売りに出る風習がありました。これは室町末期の大原女姿で、『七十一番歌合』その他の史料を考証した服装です。
桂 女(かつらめ)
<桂・桂東婦人会輪番奉仕>
洛西桂には古来桂包(かつらづつみ)といい、婦人の髪を包む風習がありました。この姿で街へ鮎や飴を売りに出たり、旧家には巫女として婚礼や出産に呪文をとなえに行きました。これを桂女と称し、本列では室町頃の小袖に桂包した姿となっています。
淀 君(よどぎみ)
太閤秀吉の側室で浅井長政の娘。豊公の寵愛をあつめ、秀頼公の生母でもあります。
本列は桃山時代を代表する豪華な打掛に間衣、下着、小袖に刺繍の帯をしめ、扇を持った外出姿です。
藤原為家の室(ふじわらためいえのしつ)
藤原為家の室(阿仏尼 あぶつに)は有名な『十六夜日記(いざよいにっき)』の著者で、子息為相(ためすけ)の領地争いのために鎌倉幕府に訴えて東下りした時の旅姿です。
市女笠(いちめがさ)に虫の垂衣(たれぎぬ)を垂れ、半足袋(前半分だけの足袋)に草鞋(わらじ)を履き、道中安全を祈るお守袋をかけ、訴状を文杖(ふみづえ)に差しています。従者は道中に必要な旅道具を入れた唐櫃(からひつ)をかついでいます。
静 御前(しずかごぜん)
源 義経(みなもとのよしつね)に愛された妾で白拍子(しらびょうし 平安から鎌倉期にかけて流行した歌舞を舞う遊女)、後に義経が謀反人として兄頼朝(よりとも)に追われ奥州に落ちた後、捕えられて鎌倉に送られた。この時鶴岡八幡宮社前で頼朝の意を気にせず、義経を恋い慕う歌舞を行ったことが有名です。
本列では白拍子時代の姿で水干(すいかん)、単小袖(ひとえこそで)、白の切袴を着け、立烏帽子(たてえぼし)をかぶり鼓(つづみ)を持っています。童女(わらわめ)一人が従い、絹傘を差しかけています。
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