当宮節分行事は、古式のままに行う大儺之儀をはじめ、年の節目にふさわしい祓いの行事が終日にわたって繰り広げられます。
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2月3日 節分日
「奉納狂言」 正午〜午後2時 (額 殿)
大蔵流 茂山千之丞社中が奉仕して奉納されます。
「節 分 祭」 午後1時斎行 (本 殿)
古来節分に年があらたまると考えられており、迎える春の平安をご神前に祈念いたします。
「大儺之儀」 午後2時 (大極殿下斎場)
平安時代、宮中で行われていた年中行事「追儺式」を再現した儀式です。
「豆撒き行事」 午後3時
鬼の舞 (境内一円)
大儺之儀で追い祓われたはずの邪鬼たちが再び応天門から侵入してきます。
境内をわがもの顔で暴れまわりますが、最後には市民の代表に打豆にあって追い祓われます。
茂山千之丞師が構成演出を担当し、茂山社中の扮する鬼たちの舞は圧巻です。

福豆撒き (大極殿より)
地元知名士・年男年女らが奉仕し、当日参拝の皆様に除災招福の祈祷をおさめた福豆をお分けします。
「大火焚神事」 午後4時 (龍尾檀下斎場)
市民を始め全国の崇敬者から祈願を込めて寄せられた「火焚串」約4万本を浄火で焚き上げ、厄を祓います。
「甘酒接待」 終日 (額 殿)
当日ご参拝された方に甘酒の接待が行われます。
◎節分特別授与品
◆節分符 500円(方相氏の面、桃の杖、桃の弓の刷り込まれた特別除災神符)
◆福 豆 300円
◆火焚串 300円
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大儺之儀について
平安神宮節分行事「大儺之儀(だいなのぎ)」は、古くは「追儺(ついな)」あるいは「鬼やらい」といわれ、遠く平安朝のころより朝廷の祓の行事として、旧暦正月の前日、つまり現在の立春の前日、節分の日に行われていたものです。この行事は、昭和49年、故猪熊兼繁(いのくまかねしげ)京都大学名誉教授の時代考証によって復元されたもので、平安朝当時の「追儺式」が式次第、作法、祭具、衣裳にいたるまで綿密に再現されており、平安京の正庁朝堂院を模した平安神宮の社殿にて行われることには、たいへん大きな意義があります。
斎場は、四隅に忌竹(いみだけ)を立てて注連縄(しめなわ)を張り巡らし、陰陽五行の思想にちなんで、北東に青、南東に赤、南西に白、北西に黒(紫)の四垂が掛けられます。これは四方を守る神獣「四神(ししん)」蒼龍(そうりゅう)、朱雀(すざく)、白虎(びゃっこ)、玄武(げんぶ)に因むものです。
大儺之儀 次第
時刻、東の方から上卿(しょうけい)・殿上人(でじょうびと)がそれぞれ童(わらわ)をしたがえて入場し、五位・七位の儺人(なびと)が続きます。
西の方からは、陰陽師(おんみょうじ)が6人の斎郎(さいろう)をひきいて入場します。
まず、斎郎(所役)が食薦(けこも)を敷き、案に神饌を供えます。
中央の案には五色の絹・飯(いい 餅米を蒸して高盛にしたもの)、右の案には鰹節・昆布・若布・酒、左には延鮑(のしあわび)・酒・塩が供えられます。
次に、斎郎が版(ばん 斎場の正確な位置を示す印)を舗設します。
次に、儀式をつかさどる陰陽師が独特の歩き方で版の前に進み、祭文(さいもん)を奏上します。
祭文のなかばに、黄金4つ目の面をつけた大舎人(おおとねり 大男)、方相氏がシンシ(子どもの所役)8人をひきいて入場して参ります。
祭文が終わると方相氏が中央に進み、3度手に持つ矛で盾を打ち「鬼やらう」と大声で発声します。
次に、上卿が中央に進み、北東と北西に向かい桃の弓で葦の矢を射ます。
次に、殿上人が同様に桃の杖で、北東・南東・南西・北西と四方を撃ちます。
次に、方相氏が先程と同様に矛と盾を打ち鳴らし「鬼やらう」と発声しながら、斎場の周囲を3度廻ります。後にはシンシと儺人(なびと)が「鬼やらう」と発声しながら続きます。
次に、応天門南側まで移動し、方相氏、上卿、殿上人が門外に向かって同様に大儺の儀式を行います。
方相氏は常人の倍もある眼力で睨むことと大声を発声すること。
上卿は祓いの力があるとされる桃の木製の弓で浄化作用のある葦の矢を射ること。
殿上人は同様に桃の杖で四方を撃つこと。
このように災いをしりぞける儀式を幾度も行い、周囲の邪気や罪穢れを祓いやります。
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